名称変更阻止は霊感商法対策弁護士会から何度も文化庁に申し入れがあった

https://himakao.hatenablog.com/entry/2022/07/22/111322

ブログの形をとってコメントさせていただきます。

 


ジャーナリストの鈴木エイト氏の記事はお読みになりましたか?

統一教会広報局によると、97年から度々名称変更の申請を文化庁に打診するも一向に取り合ってもらえなかったという。宗教法人を所轄する同庁宗務課としては、必要書類を揃えた申請書を受け取ってしまうと認証せざるを得ないため、申請自体をさせなかったのだ。事実、それまでに何度も文化庁側へ統一教会の名称変更を認証しないよう申し入れていた全国霊感商法対策弁護士連絡会全国弁連)に対し、同庁の担当者は「あんな訴訟ばかり起こされている教団の名称変更を認めるわけがない」と答えていた。文化庁は悪名が通っていた『統一教会』の名称変更を、頑として認めてこなかったのだ。」

引用元

https://web.archive.org/web/20190205091231/https://hbol.jp/184068/2

 

確かに、文化庁のグレーな対応だったと思います。「組織の実態が変わっていなければ、規則変更は認証できない」という前川氏の発言も、法制度的に照らし合わせれば正しく無いでしょう。訂正が求められます。

その一方で、その他省庁のコンプライアンス問題に並列する問題では無いとも思います。ひとくくりに「90年代の省庁」とまとめるのは、個別の事象に対して解像度が低いのではないでしょうか?

 


実際、刑事裁判で統一教会系の団体の違法性は認められており、その問題を扱う全国霊感商法対策弁護士連絡会から文化庁へ何度も統一教会の名称変更を認証しないよう申し入れがありました。

結果、その他にも統一教会の社会的な問題を考慮して、文化庁の倫理的な判断として、最大限工夫した対応だったのではないでしょうか。

 


また、2015年までの過去20年間、名称変更できたはず、とありますが、これは2009年に「新世事件」と呼ばれる霊感商法の会社が刑事罰を受けた事件を参照する必要があると思います。


「2009年、霊感商法の会社「新世」が通行人に声を掛け、印鑑などを売りつけたとして、社長と従業員らに懲役刑が下された。霊感商法が初めて犯罪認定され、世間の耳目を集めた。」

『後に統一教会の機関誌で、新世事件の責任者が<政治家との絆が弱かったから、警察の摘発を受けた。今後は政治家と一生懸命つながっていかないといけない>と語ったことが、彼らの反省点でした。』(全国霊感商法対策弁護士連絡会 渡辺弁護士談)

以下引用元

https://news.yahoo.co.jp/articles/c2aac80853e15d5fd6bf47b28c70d77a8a9f54ab


新世事件をきっかけに、統一教会に明らかに意識の変化が見られ、積極的に政治家に接近し、その結果として、6年後の名称変更に繋がったと考えるのが自然です。

統一教会も、刑事罰をきっかけに、そのイメージを払拭しようと名称変更に躍起になったのでしょう。

 


名称変更の問題は、単にリベラル側が陰謀論的に強引に取り上げている訳ではなく、長年統一教会と戦ってきた全国弁連が問題としてきたが世間には認知度が低かった問題に、この事件をきっかけにスポットライトがあたっている、と捉えるのが自然でしょう。

確かに、SNSでは統一教会に対してセンセーショナルな取り上げ方をして、右派左派ともに誤解を招くような言説が飛び交っています。慎重に冷静に検討して、事実に基づいた批評をしたいものですね。

 


以下は個人的な意見です

 


厳格な法令遵守を求める声もありますが、政治が機能せずにカルトを規制する法律が制定されない場合、現場の官僚はどうやってカルトから国民を守れば良かったのでしょうか?


ここで真に追及するべきは、文化庁(行政)ではなく、違法性反社会性がありながら統一教会に対して法的な対応を十分に取れなかった立法でしょう。


反社会的な団体の名称変更を制限する必要がありながら、その法整備が進まず、被害を食い止められなかったことは大問題です。

便宜を図るよう立法府の議員に接触してきた統一教会と、その接触を受け入れた議員の双方を激しく追及するべきです。

 


一部報道では、海外では一般的に摘発されているはずの統一教会の問題が、警察に政治的な圧力がかかり野放しにされてきた、とあります。もし事実なら、国家公安委員会を所轄する内閣総理大臣の倫理的な問題であり、激しく追及されるべきでしょう。

 


それこそ、SNS上では、ここら辺の問題に正面切って目を向けず、長年現場でカルトと戦ってきた有識者の粗探しを声高々にとりあげる、下品な言説が最近数多く見られるようになりました。

たしかに、世間一般の言説に対して新しい観点から斜めに批評できて聴き心地は良いのでしょう。しかし、それでは問題に関心を持つ人を混乱させ、スムーズな言論を妨げることになるでしょう。冷静な判断が求められます。